えっ!脳卒中?
それは私の身体にに突然起こった・・・・
ドキュメント脳卒中「体験記 退院そして自宅療養生活編 その2」



 ドキュメント脳卒中「体験記 冬のつらさ編」へ
このコーナーは2009年5月18日、管理人yasuboが病室にて開設しました。
※当初は、昭和30年代生まれのお部屋の特設コーナーとして開設。


障害と向き合って生きるすべての人々に幸多からんことを祈る

私は2009年3月にに52歳を迎える生粋の昭和30年代生まれのおやじである。
それは突然やってきた。。

2009年3月7日(土)夕刻、脳内出血で救急病院へ搬送された。
命はとりとめたものの、左半身に重い障害が残った。



2009年3月26日(木)リハビリテーション病院へ転院した。  自宅から約50k座ってm、高速道路を利用して1時間余りの県都松山市内にある。  リハビリテーション病院ではすばらしい体系化されたリハビリの指導と温かい介護を受けた。
2009年8月22日(土) リハビリテーション病院を退院した。
5ヶ月余りの入院生活に終止符を打ち、自宅での生活に戻った。
年内は自宅療養に加え、訪問リハビリとデイケアでの通所リハビリを重ねている。
休職期間は年内を持って終わる。 倒れたときが季節は春
退院時は夏、
そして秋を迎えた。 2009年10月末追記
退院後、2ヶ月を経過した。 月日はあっというまに過ぎた。
退院後の生活は、休息の日々ようであり、そうでなく、過酷でつらい試練の連続でもある。
退院後に改めて思い知るわが身のつらさも多々ある。 入院時は、ナースコールひとつで温かいスタッフのおかげで、快適に生活できた。
がしかし、家族恋しさに明け暮れたさびしい日々でもあった。 退院してうれしかったことは、妻や家族と毎日いられることである。
これはうれしかった。
長距離を運転して病室まで面会に来てくれる妻に対する心配は解消された。
退院した日はこれでもとどおりになったと誤解していたものだ。
現実は甘くない。
妻が出勤すると一人だけである。
孤独がうんぬんと言っておられない。
我が家の構造上、車椅子は卒業せざるを得なくなった。
手すりや段差等最小限の改造は行った。
しかし狭い家と廊下、段差のある我が家ではとてもじゃないが、車椅子では移動できない。
杖を使って移動している。当初は4本足の杖しか使えなかったが、現在T字杖も使い分けている。
トイレの移動はもちろん我が家内での移動は全て杖で自己責任であるが、我が家の中での移動は一人で可能になった。短い距離なら二足歩行も可能になった。
車椅子の出番は格段に減少していった 車椅子での生活を予定されていた私としては格段の進歩である。
だが、しかし、室内でよろけて尻餅をついたことがあった。
転倒して怪我をしなかったことが幸いではあった。
でも、立ち上がれないのである。
床にお尻で座り立ち上がる当たり前の動作が不可能になっていた。
お尻歩きして玄関の段差と手すりのある所まで行き、立ち上がることができ急場をしのいだ。
和室で畳に座って立ち上がる何気ない動作が出来なくなっていた。
「座り立ち上がり」の動作は退院してから訪問リハビリや通所リハビリで所望して指導を受けているが、なかなか実現できない。
それ以来、挫折しながら挑戦し続けている。いつの日か畳の生活が可能となるよう。
これができないと、外食もままならない。

このほか、退院してから思い知った悲しい現実はたくさんある。
つらい現実ではあるが、克服したい。
退院後に思い知った悲しい現実とは
以下のとおりである
入院期間中のリハビリの成果に期待しすぎていたことにも起因するかもしれない。
●杖をついての知人宅の訪問が困難
●ものの持ち運びが難儀。
かかってきた電話 来客のチャイムに間に合わないことがある。
●着替えが難儀
●杖で歩行できても走行は困難
●視床痛<が難儀
●掛け布団が困難
●左足がすぐむくみ、それがつらい
●公衆トイレの使用が困難
●一人での入浴が困難
●屋外での勾配のある場所での歩行が困難
炊事洗濯が困難
●買い物が困難
●通院が困難
●宿泊が困難
●畳の生活が困難
●左半身の各部位を動かしていないとすぐ固くなること。
●車の運転が困難
●左側への寝返りが困難
●高所が困難 ※蛍光灯の電球の取替えができない、脚立に乗るのが危険
●しゃがむことが困難
これ以上羅列しようとするとますます落ち込むばかりなので、とりあえず以上にとどめるが、

これらの難儀の事実を退院後わずか数日間で知ったときのつらさはたとえようがない。
大いに落ち込んで、慟哭した。
退院後進歩した事柄もあるにはあるが、乗り越えなければいけない壁が多くまた厚く高すぎる。
私は闘い続けることができるのだろうか。
卒中の親友「おーさん」からは、今もなお、何かと助言や励ましをいただいている。明るく生きるおーさんは私の目標である。
その後、通所リハビリや訪問リハビリ、そして自己鍛錬で克服できたことも一部ある。「できないこと」を多く発見したが、「克服できたこと」も多くある。