えっ!脳卒中?
それは私の身体にに突然起こった・・・・
ドキュメント脳卒中「退院そして自宅療養生活編 その1」![]() ●ドキュメント脳卒中「体験記 退院そして自宅療養生活編 その2」へ ※当初は、昭和30年代生まれのお部屋の特設コーナーとして開設。 障害と向き合って生きるすべての人々に幸多からん 私は2009年3月にに52歳を迎える生粋の昭和30年代生まれのおやじである。 それは突然やってきた。。 2009年3月7日(土)夕刻、脳内出血で救急病院へ搬送された。 命はとりとめたものの、左半身に重い障害が残った。 2009年3月26日(木)リハビリテーション病院へ転院した。 自宅から約50km、高速道路を利用して1時間余りの県都松山市内にある。 リハビリテーション病院ではすばらしい体系化されたリハビリの指導と温かい介護を受けた。 この病院の介護士のみなさんには感謝である。 2009年8月22日(土) リハビリテーション病院を退院した。 5ヶ月余りの入院生活に終止符を打ち、自宅での生活に戻った。 年内は自宅療養に加え、訪問リハビリとデイケアでの通所リハビリを重ねることになる。 ◆わが家は危険がいっぱい◆ 病院ほど安全が確保されていた場所はない。 お盆の帰省での我が家での生活ら病室の生活に戻り、病院のありがたさを改めて思い知らされた。 正式の退院にいたって後はなおさらだ。朝の健康チェック、室内の適正な室温管理、行き届いた清掃、 介護士さんのやさしい気遣い、ナースコールひとつでねがいはかなった。危険は全て遠ざけられていた。 病院では、「安全と快適と負担軽減」が保障されている。 自宅へ帰るとすべて自力で自己責任だ。 自宅へ帰れば、未知の危険を克服し、 障害の不便さはすべて自分で克服しなければならない。 そうしはないと、家族や周りの人たちに負担や迷惑がかかる。 介護士さんや看護士さんたちは献身的である。 がんばらねば、病院がいやだと、何にも分からず思っていた、自分が恥ずかしい。 ◆ケアマネージャーさん◆ 私はリハビリテーション病院を退院したが、 退院後の介護サービスを受けての生活設計は私の地元の社会福祉協議会のケアプランセンターのケアマネージャーさんのご尽力を得て退院前からリハビリテーション病院を介して綿密に立てられていた。 害を背負って生きねばならない私と私を抱える家族の心強い味方となってくれるであろう、ケアマネージャーのIさんに感謝してやまない。 ◆我が家の改装◆ ケアマネさんの奔走により障害者用の改装が実施された。介護保険を適用して負担はかなり軽減される。 改装部分は玄関の手すり踏み台、廊下の手すり、トイレの手すり、風呂の手すり、椅子や踏み台など 介護保険外で自己負担でガス建具のアクリル建具化を実施した。改装により不可能なことが解消された。安全性や利便性が向上した。 ◆リハビリの継続◆ 退院後も介護保険を利用してのリハビリが続けられることになる。 訪問リハビリが毎週火曜13:50、金曜13:00から 通所デイケアでのリハビリが毎週木曜日9:15送迎で。 訪問通所ともに先生に恵まれた。 キャリアを積まれた すばらしいベテランの先生であり、地元の先生ゆえに親近感を感じた。 指導方法とマッサージは秀逸である。 先生からいただいた一人でできる自己訓練の資料は私の宝物だ。 リハビリテーション病院では、豊富な訓練時間と設備、スタッフによりすばらしいリハビリを受けたが、 安全を保障された中での保護された中での動作訓練であったとも思う。 退院後の今、安全の保障された環境下体系化され理にかなった道場における剣法の技から、全て自己責任の実戦での剣法の技に移行しつつある。 2009.9.14追記 |