えっ!脳卒中?
それは私の身体にに突然起こった・・・・
ドキュメント脳卒中「体験記 入院生活編 その2」2010.5.14 ●ドキュメント脳卒中「体験記 退院そして自宅療養生活編 その1」へ ※当初は、昭和30年代生まれのお部屋の特設コーナーとして開設。 障害と向き合って生きるすべての人々に幸多からん 私は2009年3月にに52歳を迎える生粋の昭和30年代生まれのおやじである。 それは突然やってきた。。 2009年3月7日(土)夕刻、脳内出血で救急病院へ搬送された。 命はとりとめたものの、左半身に重い障害が残った。 2009年3月26日(木)リハビリテーション病院へ転院した。 この病院は自宅から約50km、高速道路を利用して1時間余りの県都松山市内にある。 2009年8月22日(土) リハビリテーション病院を退院した。 ○リハビリテーション専門病院での回復期リハビリ 本格的な回復期リハビリテーションがはじまる。 その一日はざっとこんな具合。 6時起床、トイレ、洗面、更衣、血圧、体温、血糖値等健康チェック 着替えは介護士さんによる介助により着替えをされた。 当時は独自での着替えは不可能だった。 7時 食堂にて朝食 朝食後歯磨き、トイレ。入浴日は入浴、訓練を待つ。 9時過ぎから訓練場で午前中の作業、理学療法の訓練 12時頃 昼食、歯磨き、トイレ。訓練待ちの休憩 午後からも作業、理学療法の訓練 訓練と訓練の空き時間には介護士さんの介助により病棟訓練として、車椅子異動や規律訓練を受ける。後期には車椅子異動から杖歩行の訓練に移行する。 18時 夕食 21時 消灯 毎日計4時間程度の作業療法と理学療法の訓練があたように記憶している。 理学療法士、作業療法士ともに若手の先生で、気長に訓練していただいた。 介護体制も抜群で至れり尽くせりの介護を受けた。 また清潔できれいな個室での入院生活であった。 自宅から50キロ以上遠く離れての入院生活は、ホームシックにかかったり、孤独感を募らせた。 不自由な体の自覚に目覚めつつ、精神的に落ち込み、ふさぎこみ、涙することも多々あった。 遠く離れた病室に毎日見舞いに来てくれる妻に対し、早く退院したいと訴えては困らせた。 ○極楽だった入院生活 入院当時は、早く退院したいと思っていた病院であったが、 今、考えると、豊富で専門的な訓練と、献身的な介護は抜群であり、安全と介護が確保された極楽のような「空間と時間」であったことを思い知る。 病院の食事はヘルシーで美味だったし、正しい食習慣を学習したことは大成果である。 美人ぞろいのスタッフに囲まれていたことも今となっては良い思い出となっている。 こんなすばらしかった入院生活も5ヶ月で終止符を打った。 ○短すぎた入院生活 退院を待ち望んでいたものであるが、医療保険適用によるリハビリの期間が制度上、5ヶ月以内とされていたため、退院せざるを得なかったのだ。 私は1年間休職し、退院後も自宅療養と介護保険利用による訪問リハビリと通所リハビリを続けた。 幸い、我が家に帰っての訪問リハビリ、通所リハビリの訓練は地元のベテランの先生による入院時の訓練に遜色ないすばらしい指導が得られたが、訓練時間が極端に減少した。 「鉄は熱いうちに打ての言葉どおり、一年間、みっちりリハビリを続けるのが理想的なのである。 制度上の制約により、回復の遅れを余儀なくされたことを強く感じている。 現に、復職した今日も介護保険利用による訪問リハビリと通所リハビリを続けているがリハビリの時間はさらに減少した。 有給休暇をとってのリハビリと土曜休の通所リハビリが頼みの綱となった現在、休職期間、みっちりリハビリに打ち込むことができる制度の改正を強く望んでいる。 急性期のリハビリ、回復期のリハビリ、退院後のリハビリ、復職後のリハビリ、いずれも多くのリハビリに携わる先生方の真心をいたたいた。 医療、介護、リハビリに携わるかたがたの今後のご活躍とご健勝、ご多幸をお祈り申し上げる。 |