帰巣本能 2009年7月3日
私は昭和32年生まれである。
3歳から16歳までは市営住宅で暮らし、育った。
昭和30年代の典型的な長屋風の旧式の市営住宅で、間取りは
2畳の台所、
3畳の和室6畳の和室、
とうちゃんが日曜大工で自力で増築した4.5畳の洋室兼かあちゃんの内職のミシン部屋、
汲み取り式の便所
小さな庭付き、そして風呂なしで銭湯通いの生活だった。
そこには贅沢にはほど遠い質素でささやかな生活があった。
当時、雷親父のとうちやんは怖いし、小言の多いかあちゃんは
きつかったけれど、両親はときどきやさしくて、兄弟仲もよく、
昭和の名残りのある大切な我が家だった。
この歳になってもその家が舞台の夢を見る。
少年時代は、その小さな家の空間が宇宙船の船室になって、宇宙をさまよう夢をよく見た。
入院前にも見たし、その後も見た。
現在の自宅の夢も見る
青春を過ごした学生寮や下宿の夢も見る。
大学を卒業して就職してから暮らした安アパートの夢も
それぞれ、生活や思い出があった。
帰巣本能なのかもしれない
悲しいかな。ここは病室である。
一つ屋根の下、家族とともに暮らせる日常が恋しい。
健康で家族とともに暮らせることのありがたさが身にしみる。
脳卒中なんかになるものではないよ。
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